約束を守るのはそんなに大事なのか?
文部科学省のHPによると,改正教育基本法に「道徳心を培う」ということが明記されたことから道徳の授業が導入されました。道徳教育の目的としては,「幅広い知識と教養を身に付け,真理を求める態度を養い,豊かな情操と道徳心を培うとともに,健やかな身体を養うこと。」ということだそうです。イメージが具体的にはつきませんが実際に小中学校では年間35単位時間が道徳の時間にあてがわれています。
道徳の教材に使われている逸話の中にちょっとどうなのかと思うものがありました。「手品師」という話です。一応全文を記載しますが,長いので端的にまとめると
「ある貧乏な手品師が,男の子に手品を見せる約束をしたが,その後急に大劇場での出演オファーが入りました。でも,手品師は男の子との約束を優先し,オファーを蹴りました。なんと誠実な素晴らしい行為なのでしょう。」という内容です。
あるところに、うではいいのですが、あまり売れない手品師がいました。もち
ろん、くらしむきは楽ではなく、 その日のパンを買うのも、やっとというありさ
までした。
「大きな劇場で、はなやかに手品をやりたいなあ。」
いつも、 そう思うのですが、 今のかれにとっては、それは、ゆめでしかあり
ません。それでも手品師は、いつかは大劇場のステージに立てる日の来るのを願
って、うでをみがいていました。
ある日のこと、手品師が町を歩いていますと、 小さな男の子が、しょんぼりと
道にしゃがみこんでいるのに出会いました。
「どうしたんだい。」
手品師は、思わず声をかけました。男の子は、 さびしそうな顔で、 おとうさ
んが死んだあと、おかあさんが、働きに出て、ずっと帰ってこないのだと答えま
した。
「そうかい。それはかわいそうに。それじゃおじさんが、おもしろいものを見せ
てあげよう。だから、元気を出すんだよ。」
と言って、手品師は、ぼうしの中から色とりどりの美しい花を取り出したり、さ
らに、ハンカチの中から白いハトを飛び立たせたりしました。男の子の顔は、明
るさを取りもどし、 すっかり元気になりました。
「おじさん、あしたも来てくれる?」
男の子は、大きな目を輝かせて言いました。
「ああ、 来るともさ。」
手品師が答えました。
「きっとだね。きっと、来てくれるね。」
「きっとさ。きっと来るよ。」
どうせ、ひまなからだ、 あしたも来てやろう。手品師はそんな気持ちでした。
その日の夜、少しはなれた町に住む仲のよい友人から、手品師に電話がかかっ
てきました。
「おい、 いい話があるんだ。今夜すぐ、そっちをたって、ぼくの家に来い。」
「いったい、急に、どうしたと言うんだ。」
「どうしたもこうしたもない。大劇場に出られるチャンスだぞ。」
「えっ、 大劇場に?」
「そうとも、二度とないチャンスだ。これをのがしたら、もうチャンスは来ない
かもしれないぞ。」
「もうすこし、くわしく話してくれないか。」
友人の話によると、今、ひょうばんのマジック・ショウに出演している手品師
が急病でたおれ、手術をしなければならなくなったため、その人のかわりをさが
しているのだというのです。
「そこで、ぼくは、きみをすいせんしたというわけさ。」
「あのう、一日のばすわけにはいかないのかい。」
「それはだめだ。手術は今夜なんだ。明日のステージにあなをあけるわけにはい
かない。」
「そうか…………。」
手品師の頭の中では、大劇場のはなやかなステージに、スポットライトを浴び
て立つ自分のすがたと、さっき会った男の子の顔が、かわるがわる、うかんでは
消え、消えてはうかんでいました。
(このチャンスをのがしたら、もう二度と大劇場のステージには立てないかもし
れない。しかし、あしたは、あの男の子が、ぼくを待っている。)
手品師はまよいに、まよっていました。
「いいね、そっちを今夜たてば、明日の朝には、こっちに着く。待ってるよ。」
友人は、 もう、すっかり決めこんでいるようです。手品師は、受話器を持ちかえ
ると、きっぱりと言いました。
「せっかくだけど、あしたは行けない。」
「えっ、 どうしてだ。きみがずっと待ち望んでいた大劇場に出られるというのだ。
これをきっかけに、 きみの力が認められれば、手品師として、売れっ子になれ
るんだぞ。」
「ぼくには、あした約束したことがあるんだ。」
「そんなに、たいせつな約束なのか。」
「そうだ。ぼくにとっては、 たいせつな約束なんだ。せっかくの、きみの友情に
対して、すまないと思うが……。」
「きみがそんなに言うなら、きっとたいせつな約束なんだろう。じゃ、残念だが
……。また、会おう。」
よく日、 小さな町のかたすみで、たったひとりのお客さまを前にして、 あま
り売れない手品師が、つぎつぎとすばらしい手品を演じていました。
出典 小学校 道徳の指導資料とその利用1
日本で道徳教育をする先生は大変
学校の先生はこんな教材使って生徒に教えているわけです。本当にすごいと思います。恐らく教育指導要領があってある程度のマニュアル化されているのだろうとは思いますが,私はできないですね。絶対約束を破って大劇場に行きマジシャンとして成功を望むのが正しいみたいな(教育指導要領的に)誤った教育をして偉い人に怒られる気しかしません。
そもそも,道徳というと聞こえはいいですが,言ってしまえばイデオロギーの押しつけです。思想教育の一環です。しかし,現在の日本には系統だったイデオロギーはないし,思想教育をするのは非常に困難な気がするし意義を感じません。思想教育って北朝鮮みたいに将軍様最高!とか中国のように共産党万歳!みたいな国がするから意味があるわけで,そもそも子供に押し付けるべきイデオロギーが日本にあるんでしょうか?という話です。というか,先ほどの題材から読み取れる一番単純なイデオロギーは貧乏のままでもいいから約束を守ろうです。なんじゃそりゃ。
日本は中国からの儒教的思想とムラ社会的な同調主義、アメリカの自由資本主義思想が入り混じった思想のるつぼです。前者二つはあまり矛盾しないので思想教育が機能しえたと思います。例えば第二次世界大戦中は天皇は神みたいなことにして思想教育していたわけです。
貧乏を推奨する意味が分からない
先ほどの例では貧乏を推奨しているとしか思えません。でも貧乏という状態は誰にもメリットがありません。まず国にとって所得が高い人ほど税収が増えるので国民がお金持ちの方がいいはずです。そして,貧乏であることは多かれ少なかれ家族に迷惑がかかります。お金持ち=幸せな家庭というわけではないですが,ある程度のお金がないことを理由に不仲になったり,家族が崩壊してしまった家族が私の身の回りにもいます。そして何より自分の可能性を小さくします。このマジシャンは大舞台に立ってマジックを披露するのが長年の夢でした。少なからず,お金持ちになりたい、有名になりたいといった俗世的な欲もあったことでしょう。さらにお金があればより高級なマジックを買うことができます。マジックというのは自分でタネ考えている人もいると思いますが,マジックを売っている人がいてそこから買うことができます。当然人気が高いマジックは高いです。お金があれば人気が出そうなマジックをバンバン買ってより有名になることができます。
この題材を使ってできる教育方法
とはいえいいか悪いかは別として,このような題材が道徳の教科書に採用されている事実は簡単には変わりません。ここまで一貫してこの題材をディスってきたわけですが,ためしに前向きにこの題材を使ってどのような教育ができるか考えてみたいと思います。一応自分に小学生~中学生くらいの子供がいることを想定してみます。
どうすれば約束を破らずに大舞台に出ることができるかの方法を考える
小学生の子供でしたらこの題材を使って,「どうしたら約束を破らずにかつ大舞台に立つという夢をかなえられるか」を考えさせると思います。この時代なので,携帯電話で連絡して男の子との約束を延期してもらうとか,番号が分からなければ友達に頼んで伝えてもらうとか方法はいくらでもあります。なんなら,テレビ電話を使って大舞台で手品をしている手品師を映すとかもあると思います。
日本社会の不条理である本音と建て前の文化を教える
中学生の子どもでしたら,もうちょっと踏み込んで日本社会の不条理さを教えます。授業でこの題材をやった場合,本当は「お金儲けのほうが大事だからこの手品師は馬鹿」とか「約束を破ってでも大舞台に出るべき」とか思っていたとしても,学校としての正解は「誠実さが大事」とか「お金儲けより目の前の1人の友人を大事にする」とかが模範解答と推察されます。日本ではこのような本音と建て前を使い分けたほうが得する場面が多数あるので,そういう不条理な部分の練習するための教材としてはかなり適切だと思います。
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